吉田貞次郎

登録日:2018年8月3日

北海道上富良野の開拓者 吉田貞次郎

吉田卓次郎の写真  
吉田貞次郎(上段中央、上富良野町提供)   

津市と友好都市提携を結んでいる北海道上富良野町。その開拓の祖としては納所出身の田中常次郎が知られているが、上富良野町では一身田出身の吉田貞次郎という人物も常次郎と同様に顕彰されている。

北海道と三重県の関係は深く、幕末に北海道探検をして、アイヌ民族の習俗や北海道の地理を記録するとともに、北海道の名付け親として有名なのが一志郡小野江村(現松阪市)出身の松浦武四郎である。
北海道の開拓が本格的になったのは、明治25(1892)年の団体移住が始まりで、翌26年には三重県からの団体移住が始まった。上富良野町開拓の祖といわれる田中常次郎も、その時単身で北海道に渡り、その後明治30(1897)年津に戻り、希望者を募って三重団体を組織し、団体長として富良野原野に入り開拓を行ったのである。

吉田貞次郎は、明治18(1885)年に河芸郡一身田村大字一身田字西之町(現一身田町)に生まれた。少年時代を一身田で過ごし明治30年に一身田小学校を卒業、その3年後の明治33(1900)年、両親とともに上富良野村三重団体へと移住することとなった。そこで未開拓の地を開き農業に従事するなか、勉学も励んだといわれている。その後、明治43(1910)年には、上富良野村村会議員、大正8(1919)年には村長に選任され4期16年間村政の執行に尽力した。

しかし、貞次郎が村長の時、大正15(1926)年5月24日に十勝岳が大音響とともに大爆発した。この時、村は泥流に埋められ、144人の尊い命と850ヘクタール以上の田畑が被害を受け、壊滅的な状況となった。
この被害を受けた後、復興するか否かの議論が村を二分する中、村長貞次郎の強い復興の決意が、災害復旧へとつながり、村民たちの血のにじむような努力によって、わずか数年で水田をよみがえらせたのであった。これによって、上富良野の地は未開の開拓から、2度目の土地づくりとなったわけである。

昭和10(1935)年、貞次郎は、上富良野村長を退任し、昭和17(1942)年には衆議院議員となる。そして昭和23(1948)年63才で亡くなるまで、その生涯を地域に尽くした。翌年、上富良野村民によって貞次郎の徳をしのんで頌徳碑が建立され、上富良野町では、泥流と闘った村長として、今なお、語り継がれている。

 

上富良野町開拓記念館の写真
旧吉田貞次郎邸を解体復元した上富良野町開拓記念館  上富良野町提供
小説「泥流地帯」の画像
小説「泥流地帯」

 

小説「泥流地帯」(三浦綾子著)は、福島県からの入植者家族たちの物語であるが、その文中には開拓を行った三重団体の暮らしぶりが語られ、しばしば登場する吉田村長の心優しい人柄や、災害復旧に全力を挙げる村長の姿が描かれている。
そして泥流被害を受けながらも現存していた旧吉田貞次郎の住宅は、平成9年に解体復元され、上富良野町開拓記念館となり、田中常次郎、吉田貞次郎に関する資料が展示され、開拓の歴史が分かる資料館に生まれ変った。

ちなみに、市内には十勝岳噴火の6カ月前、大正14(1925)年12月に吉田貞次郎が建立した吉田家先祖代々の墓が、彼の出身地一身田の高田本山墓地の中にある。

 

吉田家の墓の写真
高田本山墓地にある吉田家の墓

 

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