平維盛の木像
平安時代末期の武将。平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味となり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺したとされているが、芸濃町河内には維盛がこの地に移り住んだという伝説がある。維盛は53歳まで生き、成覚寺には維盛の墓と木像が伝わる。
注:地図(外部リンク)
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