登録日:2021年11月16日
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広報津 令和3年11月16日 第379号
海を越えて旅する 渡り蝶 アサギマダラ。例年10月中旬、その姿を収めようとフジバカマ畑がカメラマンでにぎわう(10月15日 美杉町太郎生)
久居地域の中心地区は、寛文9(1669)年に津藩主藤堂高虎公の孫・藤堂たかみち公が久居藩を立てたことに始まります。令和元年から3年にかけては、この久居藩の立藩から寛文11(1671)年のたかみち公入府に至るまでの3年間から数えてそれぞれ350年目に当たります。この節目に歴史・伝統の再認識をするとともに市民の皆さんが交流できる機会をつくり、次代に向けた地域の魅力向上を図るため、久居誕生350年事業として市民と行政が協働しさまざまな事業を実施しています。
立藩から入府までの3年間と久居地域の歴史・魅力について、詳しくは津市ホームページをご覧ください。漫画 久居誕生物語も公開中
寛文9(1669)年、津藩第2代藩主の藤堂たかつぐ公が隠居する際に長男たかひさ公を津藩第3代藩主とし、次男たかみち公には5万ごく(後に3千ごくを追加)を分領して支藩を立てたことが久居藩の始まりです。その後、明治維新までの約200年間、分家として津藩を支えながら安定した治世が敷かれました。
寛文10(1670)年、たかみち公は雲出の平原を一望に見渡せる野辺野の高台に陣屋(藩主の館)と侍屋敷200、町屋500から成る城下町を造り、この地に永久に鎮居したいという意味を込めて久居と命名しました。
寛文11(1671)年、完成した新たなまちにたかみち公が江戸から入城しました。正保元年(1644年)に津城で誕生したたかみち公は教養のある文化人で、大名歌人としてその名が高く、にんこう という号で数多くの名句を残しました。元禄10(1697)年、満52歳で没し、寒松院(寿町)に葬られています。
クイズやゲームを楽しみながら清掃やワークショップを実施
久居藩の歴史に精通した有識者による基調講演と座談会を開催
奈良街道の踏破や、たかみち公の入城のルートを散策。ボランティアガイドの皆さんが楽しく案内してくれました。
久居藩ゆかりの地や各地域にある史跡を巡るスタンプラリー。今まで行ったことがなかった場所を巡れて楽しかったよ。
1670年の城下町建設の際にたかみち公により久居の総鎮守として建てられ、久居藩の祈願所として歴代藩主や町の人々の信仰があつかった。
久居藩の菩提寺。本堂の屋根には久居藤堂家の家紋が付けられ、堂内には市指定文化財の初代藩主と2代藩主の木像が安置されている。
1736年に造られ、時刻や火事を知らせた。太平洋戦争期の軍への供出や、伊勢湾台風での落下などを乗り越え、現在も大みそかなどに鐘つきが行われる。
奈良時代に建設され、織田信長の軍勢により焼失するが、江戸時代に再建。市指定文化財の朱塗りの山門をくぐると、たかみち公が寄進した銅灯籠が正面に建つ。
久居陣屋の跡地にある公園で、この一帯は歴代藩主が住んでいたことから御殿山と呼ばれる。敷地内には久居の歴史を刻んだ石碑が建ち並ぶ。
美里町五百野で伊賀街道から分岐し、稲葉・戸木を経て久居城下へ入ると、旅人でにぎわう旅籠町の宿場へ。城下を抜け、新家で雲出川を渡り、松阪市中林の月本追分で伊勢街道と合流します。
藤堂高虎公の信頼が厚く、水利・かんがいで多くの業績を残す西島八兵衛の指揮のもと開発された用水路。雲出川を取り入れ約13キロメートルに及ぶ大工事の末に完成しました。
久居地域の小中学生や高校生、文化人が久居誕生350年をテーマに制作した作品を展示します。さまざまな分野の作品を一堂に展示し、久居誕生350年事業のフィナーレを飾ります。
12月15日水曜日から19日日曜日までの、10時から17時まで。19日は16時まで
久居アルスプラザ
ただし、華道の展示、茶席は18日・19日のみ
久居総合支所地域振興課 電話番号255-8803 ファクス255-0960
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