「広報津」第403号(音声読み上げ)歴史散歩 第195回 にわだいのこうしん塚、津市(このまち)で輝く

登録日:2022年11月16日


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歴史散歩 第195回 にわだいのこうしん塚

伊勢別街道は京都方面からの参宮客が多く往来していたことが知られており、芸濃地域にはその伊勢別街道の宿場の一つである楠原宿があります。庭代の庚申塚は東海道関宿から伊勢別街道沿いに南下した楠原宿の手前に位置します。建てられた年代などの詳しいことは分かっていませんが、明治12(1879)年に作成された神社等の明細を記した台帳である社寺明細帳には位置や大きさなどが記載されています。
庚申塚の庚申とは干支の庚申(かのえさる)のことです。干支と聞くと十二支を思い浮かべる人も多いかも知れませんが、本来はじっかんと十二支を組み合わせたものをいい、60通りの組み合わせを年や日、時間に当てはめて暦などに使用していました。
中国の道教の影響を受けた庚申信仰と呼ばれるものがあり、60日に一度この庚申(かのえさる)の日が巡って来る晩に眠ると体内にいる、さんしのむしが天に昇り、その人の悪業を天帝に告げ、宿主の寿命を縮ませるという言い伝えがあります。そこで、人々は徹夜で般若心経を唱えるなどして、さんしのむしが体から抜け出さないようにしたと言われていす。
この庚申信仰は平安時代にはすでに貴族の間で信仰され、最盛期は元禄・享保年間(1688年から1736年まで)頃だったとされています。
全国各地の庚申を祭る碑には、三尸虫を抑える神としてしょうめんこんごう石像が建てられることが多く、この庚申塚にもさんめんろっぴふんぬ形の青面金剛石像が瓦葺きの小さなお堂の中に祭られています。市内では他にも庚申塚が複数確認されていることから、当時、庚申信仰が広く信じられていたことがうかがえます。
また、この塚には楠原の浄蓮寺の僧が開眼供養をした馬頭観音像や、地蔵菩薩などのさまざまな石造物が見られます。
晩秋の一日に伊勢別街道を歩き、庭代の庚申塚を訪れてみてはいかがでしょうか。

津市(このまち)で輝く

ボリューム71、得意のレシーブで地域の絆を未来につなぐ
芸濃小学校 児童会長 おかもと なおん 12歳

プロフィール

2010年、津市芸濃町生まれ。母と兄の影響でバレーボールを始める。同居の祖父と一緒に行う田植えや稲刈りが楽しみで、稲作のお手伝い要請には家族で1番に応じる

夏も冬も降っても晴れても仲間と集まる場所がある

行楽シーズンの11月、芸濃地域の河内渓谷には、紅葉とアーチ橋のコントラストを写真に収めようと多くの人が訪れる。伊勢別街道の名残を留める同地内には、天に昇る龍が残したと伝わる龍王桜や、40体もの磨崖仏が山肌に彫られたパワースポット・石山観音公園など、自然・史跡が色濃く残る。
地域のお薦めを尋ねると(おかもとさんのコメント)たくさんあるけれど一番はげいのうわんぱーくです(コメント終わり)と、芸濃小学校で児童会長を務める岡本さん。(おかもとさんのコメント)空中を自由に移動できるネットアスレチックや難易度を変えて何度でも挑戦したくなるボルダリングは、雨の日も友だちに会える僕たちの自慢の遊び場です(コメント終わり)
来月には、芸濃総合文化センターを数万個の電球が彩るげいのう クリスマスが開催。(おかもとさんのコメント)地域の皆さんが飾り付けてくれるイルミネーションや、音楽に合わせて打ち上げられる花火がすごくきれいで、小さい頃から毎年楽しみにしています。この日は寒さを忘れて友だちと盛り上がります(コメント終わり)
小学3年生から始めたバレーボールで得意とするのは、相手のスパイクを受けて味方につなぐレシーブ。(おかもとさんのコメント)芸濃には地域で作るイベントや、歴史・自然がたくさんあります。そんな絆や魅力を、ボールのように未来につないでいきたいです(コメント終わり)と、目を輝かせた。

その他

4ページ目から5ページ目までに掲載の、市民の暮らしを支える社会基盤 第7回 芸濃地域編の項で、芸濃小学校児童が、芸濃地域を紹介しています。


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