津城の古写真
ページ番号1004616 更新日 2025年11月28日
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明治・大正期の写真

明治初年の津城本丸の丑寅櫓(うしとらやぐら)。奥に戌亥櫓(いぬいやぐら)、両者をつなぐ多聞櫓(たもんやぐら)が見えます。明治18年に解体され売却されるまで、津城の象徴的な建物のひとつでした。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

城壁の傷みが激しい丑寅櫓(うしとらやぐら)と戌亥櫓(いぬいやぐら)
(樋田清砂氏旧蔵写真)

明治期の西堀端武家屋敷。手前は師範学校の敷地で、農作業にいそしむ学生たちの姿が見えます。外堀が埋められて間もない頃で、そのあとがよく判ります。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

明治・大正期の津城跡本丸石垣と西之丸。二之丸に建つ師範学校の建物は木造2階建てのモダンな校舎でした。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

明治・大正期の津城本丸。
内堀を隔てた東側、旧藩校有造館跡地には養正学校がみえます。
(樋田清砂氏旧蔵写真)
昭和期の写真

大正期の津城本丸。内堀は蓮池と言われるほどに蓮が繁茂してます。天守台の上には東屋が設けられ、展望所となっていました。本丸内には高山神社がありました。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

昭和11年頃に撮影された航空写真。南側の本丸内堀(幅は約100メートル)が残り、現在の津市役所のある二之丸には、三重高等師範学校(三重大学教育学部の前身)の校舎がありました。本丸内に高山神社、西之丸に藤堂家邸がみえます。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

昭和32年頃に撮影された本丸天守台。
戦後、昭和25年頃から内堀は埋め立てが行われ、市街地化が進みました。
(樋田清砂氏旧蔵写真)

上の写真と同じ頃に撮影された津城本丸天守台。
手前の大量の石材は、城郭関連の石材と考えられますが詳細は不明です。
(樋田清砂氏旧蔵写真)
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