多気北畠氏遺跡の概要
ページ番号1008490 更新日 2025年11月28日
多気北畠氏遺跡とは
伊勢国と北畠氏
北畠氏と伊勢国「北畠氏」と伊勢国との関わりは、『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』の作者としても知られる北畠親房(ちかふさ)が延元元(1336)年に伊勢国田丸城(現在の玉城町田丸)を拠点としたことに始まります。北畠氏は伊勢神宮の存在や南朝を支持する南伊勢の諸勢力、及び吉野朝廷(南朝)と東国との連絡経路等について考慮し、伊勢国に拠点をおいたものと考えられます。

親房自身はやがて常陸国(ひたちのくに)に移りますが、次男顕信(あきのぶ)と三男顕能(あきよし)は伊勢にとどまり、延元3(1338)年に顕能が伊勢国司となります。その後、南伊勢の各拠点が北朝方の攻撃を受け、興国3/康永元(1342)年に田丸城が落城すると、北畠氏はほどなく多気に拠点を移し、霧山城や館を築いたといわれています。
南北朝が統一された後、北畠氏は伊勢国司としての地位を保ち、守護大名として室町時代を生き抜いていきます。往時の北畠氏の勢力範囲は、拠点である多気の地だけにとどまらず、およそ旧一志郡以南の諸地域に及び、隣国である伊賀国や大和国の南部をもその支配下におさめていたといわれます。
また、永正18(1521)年頃の築造と推定される細川高国による北畠氏庭園跡が象徴するように、都からはるかに離れた多気の地に、京都や大和・尾張・美濃などを中心とした様々な文化や品物が流入しており、文化都市的な色彩も強くうかがわれます。
しかし、天正4(1576)年、伊勢国司北畠家も時勢には逆らえず、織田信長の天下布武の動きの中で侵攻を受け、ここに約240年続いた多気北畠氏の歴史は幕を閉じることになりました。
続日本100名城スタンプ設置場所のご案内
津城(丸之内)と多気北畠氏城館(美杉町上多気)は、平成29年4月6日に公益財団法人日本城郭協会より「続日本100名城」に選定されました。平成30年4月6日より、同協会の主催によるスタンプラリーが始まり、津城と多気北畠氏城館にもスタンプが設置されています。
なお、スタンプラリーの詳細については、公益財団法人日本城郭協会までお問い合わせください。
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スタンプ名 |
スタンプ設置場所 |
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| 「津城」(No.152) |
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| 「多気北畠氏城館」(No.153) | 北畠神社社務所(8時30分~17時) |
注:新型コロナウィルス感染症の感染状況等により、押印を休止する場合があります。
多気北畠氏遺跡・多気北畠氏城館跡へのアクセス
- JR名松線「伊勢奥津」駅から津市コミュニティバスで約10分「上多気交差点」下車徒歩約10分
- JR名松線「竹原」駅から津市コミュニティバスで約45分「北畠神社前」下車すぐ
- 伊勢自動車道「久居」インターより車で約60分
このページに関するお問い合わせ
教育総務部 生涯学習課 文化財担当
〒514-0035三重県津市西丸之内37番8号
電話:059-229-3251 ファクス:059-229-3257
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