歴史散歩vol.231

ページ番号1011837  更新日 2026年2月27日

藤堂高虎と豊臣秀長

 若き日の藤堂高虎は、自らが仕える主人を求め、幾人かの人物の下を渡り歩いたことがよく知られています。その末にたどりついたのが豊臣秀吉の弟で、今年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公である豊臣秀長です。
 江戸時代後期に編纂され、高虎の生涯を記した『高山公実録』によると、秀長に仕えたのは天正4(1576)年の21歳の時で、禄300石を受けて与吉から与右衛門に名を改めています。その後、秀長旗下で播磨国(兵庫県南部)に移り、三木城攻めで賀古六郎衛門を討ち取るなどの武功を挙げました。
 天正8年には、但馬国(兵庫県北部)に移り、翌9年には一揆鎮圧の活躍が認められて3000石の加増を受けます。戦での活躍が認められた26歳のこの年、高虎は但馬国養父の地で、一色修理大夫の娘(久芳夫人)と結婚します。
 伴侶を得た高虎は、本能寺の変の後の山崎の戦いや賤ケ岳合戦、これに続く紀伊国平定の戦功もあり、1万石の大名格へと出世します。秀長軍の先鋒で出陣した九州平定後の天正15年には、2万石の大名となり、紀伊国粉河(和歌山県)で居館を構えています。
 しかし、天正19年の秀長の死、そして文禄4(1595)年の嗣子秀保の相次ぐ死により、大和大納言家(豊臣秀長家)との関係は終焉を迎えてしまいます。
 生涯仕えようと決めた主人秀長を失い、一度は武士の身分を捨てて高野山に出家するものの、秀吉に請われて再び武士として還俗した高虎は、秀吉や徳川家康のもとで補佐役に徹します。そして勇猛な武士としての側面に加え、各地の築城や改築を指揮した技術者として、その才能を発揮していくことになります。

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