「広報津」平成23年1月1日/第121号(音声読み上げ) 歴史散歩(56)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(56)

津市指定無形文化財 泅水術観海流

 毎年1月に阿漕浦海岸で披露される「観海流」の寒中水泳は、日本の伝統的な古式泳法が披露される場として有名です。
 この「観海流」は、江戸時代末期に、武州忍[おし]藩(現在の埼玉県行田市)の宮[みや]信徳[のぶのり](発太郎)によって津藩に伝えられました。のぶのりは、武術の修業をしながら諸国を巡り、兵士の遠泳技術と訓練が海防上大切であると考えたことから、独自の工夫を加えた水泳術を身に付けたといわれています。嘉永5年(1852年)、津に立ち寄ったのぶのりに、津藩の家老藤堂高克[たかよし]の前で泳ぎを披露する機会が与えられました。この時ののぶのりの泳ぐ様子が、あたかも陸を行くように鮮やかであったので、たかよしが「海を観ること陸の如し」と称賛し、「観海流」の名が付いたといわれています。
のぶのりは藩の子弟に泳法を教授した後、再び津を離れて旅に出たといわれていますが、安政[あんせい]3年(1856年)に観海流の免許を皆伝された津藩士の山田省助が受け継ぎました。津藩の藩校「有造館」では、文政3年(1820年)の開設当初から水泳術が教科のひとつとして採用されていましたが、嘉永6年(1853年)に観海流泳法が藩校の武術教科として正式に採用されたようです。
 観海流の泳法は、現在の水泳競技とは異なりスピードを競うものではなく、遠泳を目的としたものです。その特徴は「かえる足の平泳ぎを基本とする、長距離団体泳法である」といわれています。泳いだ後も疲労を感じないため、上陸後も陸上での戦いや他の仕事をすることができる実戦的なものでした。観海流泳法は廃藩後も、三重県師範学校などの水泳指導に導入されています。昭和23年(1948年)からは岩田川や阿漕浦で観海流による寒中水泳が行われ、古式沖渡りや弓矢術、水書などが披露されています。
 今年も成人の日の1月10日、11時30分から阿漕浦交通遊園前の海岸で披露されます。ぜひご覧になられてはいかがでしょうか。


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