「広報津」平成23年10月1日/第139号(音声読み上げ) 歴史散歩(65)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(65)

安濃鉄道の面影

 津と伊賀上野を結ぶ江戸時代の伊賀街道の町並みが残る八町に鉄道ターミナルがあったことはあまり知られていません。ここを起点に河芸町はやしまでの15.7キロメートルの区間で、大正から昭和初期にかけて営業していた安濃鉄道。今は随所に痕跡を残すのみですが、その面影をたどってみましょう。
 八町から北に延びる軌道は、現在の県道42号線と交差するように西に向きを変えて、赤い水道橋のあたりで安濃川を渡り、安東小学校の南西(納所駅)を通って西進しますが、水田整備によってその痕跡は全く残っていません。高速道路の高架附近(安東駅)は、櫛形・産品を抜けて片田に至る支線(片田線)の分岐点でもありました。
 安濃地域に入ると、現在の道路と重なるように軌道の痕跡が確認できます。安濃小学校の東側(内多駅)に延びる見通しの利く直線道路は、かつての線路の幅を実感できます。やがて安濃川左岸に沿った軌道跡は、場所によって農道の一部として残り、また県道に重なるように吸収されたりしています。
 昭和15年に設置された萩野駅は、昭和19年に全線の営業が休止されるまでの短期間の駅でした。25メートルほどの長さで両端が緩く傾斜して残るコンクリートに、当時の駅のプラットホームの規模を垣間見ることができます。
 軌道はやがて緩くS字状にカーブしながら路線中の難所である上り坂(旧芸濃消防署の裏手付近)へ差し掛かります。戦時中の木炭車は馬力が小さく、ここでは乗客も降りて車輌を押したとも言われています。ここから西側に続く軌道跡は今も「軽便道[けいべんみち]」と呼ばれ、地域の生活道路として利用されています。
 むくもとにあるJA津安芸芸濃支店の敷地は、かつてむくもと駅があった場所です。駅舎や機関庫のほか、昭和3年には転車台も設置されました。ここから林駅までの区間は、完全に県道に吸収され、かつての軌道の痕跡を見ることはできません。終点の林駅は、集落の入口付近にあたり、今はその場所を示す標柱があるのみで、駅の痕跡も見当たりません。
 大正3年から昭和19年までのわずか30年間、地域の人々の足として利用され、八町から林間を約1時間で結んでいた安濃鉄道。片田支線の延伸計画など、地域鉄道網の整備計画もあったようですが、国の鉄道施策の認可を受けられなかったことや、その後の経済状況の悪化もあって短期間でその役割を終えました。


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