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一身でん町にある真宗高田派の本山専修寺の現在の伽藍[がらん]は、正保2年(1645年)の大火で堂宇[どうう]が焼失した後、約200年の歳月を費やして整備されたものです。伽藍の再建は寛文6年(1666年)御影堂[みえいどう]の建立から始められ、次いで如来堂、これに合わせて周囲の山門、太鼓門が建てられ、天保15年(1844年)の唐門の造営をもって再建が完了しました。
建物は風雨にさらされるため、傷みやすく定期的に修理が必要となってきます。平成19年には御影堂が9年間の修理を終えたばかりで、現在境内では御廟拝堂[ごびょうはいどう]の他、御対面所、大玄関などの修理が来春の完成に向けて急ピッチで行われています。
唐門と太鼓門も平成20年から3年間の修理が行われ、昨年往時の姿を久しぶりに現しました。唐門は、如来堂の前に建つ雄大な四脚門です。桧皮葺[ひわだぶき]の屋根で正面・背面ともに大きな唐破風[からはふ]があることからこの名前が付いています。特別な使者が使う門とされており、扉などに施された華麗な彫刻は格式の高さがうかがわれます。
一方、太鼓門は境内の東辺にあります。宝暦・寛政年間(18世紀後半)に専修寺を中心とした寺内町を描いた絵図には、単層の櫓[やぐら]を載せた姿が描かれており、当初は現在の形ではありませんでした。その後、幕末の文久元年(1861年)にそれまで全体で二重であったものを四重に改めた記録があります。かつては、櫓で人々に時を知らせる「時の太鼓」が打たれていました。
いずれの門も専修寺とその周辺に広がる寺内町の景観を形成する要素としても重要です。現在、周辺の景観整備などが進められており、それが完了する来年には県内外から訪れる多くの人の目に触れることになるでしょう。
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