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今年も8月15日に終戦の日を迎え、太平洋戦争の終結から67年の時が流れました。この大戦では市内でも、昭和20年3月に贄崎[にえざき]や阿漕浦の海岸に空襲を受けたのをはじめ、終戦までの半年ほどの間に、爆弾の投下や機銃掃射が繰り返されました。市内各所には空襲の傷跡や犠牲者を悼む慰霊碑がありますが、その中から美杉地域にある「谷中の碑」を紹介します。
県道久居美杉線を奥津方面に向かって走り、鎌倉トンネルを抜けると、NTT美杉電話交換所の付近で桜峠に通じる県道青山美杉線と分かれます。この青山美杉線を2キロメートルほど進んだ不動橋のたもとに、「谷中の碑」が建てられています。
「谷中」とは、この石碑からさらに伊賀市方面に進んだところにあった集落で、戦争中は20軒ほどの家々があったといわれています。豊かな自然に包まれたこの静かな集落に、昭和20年7月24日、アメリカの爆撃機B29から1発の爆弾が落とされました。この日、津市街を空襲するため百機を超えるB29が飛来しており、谷中に爆弾を落としたのはこの空襲から帰還中の1機だったといわれています。谷中への爆弾投下は当初から計画されたものではなく、何らかの原因で投下できなかった爆弾を、帰還の途中に処分したものではないかと考えられています。
この1発の爆弾で、薬草を採ったり川遊びをしたりしていた小学生と、その保護者の7人が犠牲になりました。終戦から50年が経過した平成7年、当時のやち小学校の児童が戦争について調べたことをきっかけに、その翌年、この痛ましい出来事を後世に伝えようと「谷中の碑」が建立されました。「平和」と大きく書かれた石碑には、次のような文章が刻まれています。
「山青く水清らかな谷中 二十軒余の静かな暮らし 一九四五年七月二十四日 昼下がり谷中に爆弾が落とされた 薬草採りの小学生 川遊びの幼い児 奪われた尊い七つの命五十年の時を過ぎて いまここによみがえる八知小学校児童の 平和への願いとなって 私達はこの出来事を忘れまい 人の世の未来のために」
小学生たちの思いをきっかけに建てられた「谷中の碑」は、平和を願いながら今日も静かにこの地を見守っています。
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