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一身でんには、寺内町と呼ばれる古くからの町があります。かつて寺内町は専修寺を中心とした自治都市として栄え、町を囲む形の環ごうは今でもほぼ完全な形で残っています。
その寺内町の中心である専修寺の南面には、正門である巨大な二階建ての山門があります。その山門前を東西に走る道を隔て、南に延びる石畳のある道を進んでしばらくすると、道幅を狭めるように両側に釘貫門と呼ばれる塀のような瓦葺[かわらぶ]きの建物があります。さらにその先の堀には、小さな石橋が架かっています。
石橋は、専修寺とその子院のある寺内(寺領)と、寺下[じげ](町屋)を隔てる堀の上に架かかり、緩やかな弧を描く橋板11枚から成る石造りの反り橋です。南側の橋詰めでは、高欄が親柱から水路に沿って折れ曲がっています。建設時期については、「高田史料」第三巻の宝暦10年(1760年)編に、「三月八日、山門前石橋成ル、初渡式」との記述があります。
その石橋の内側にある釘貫門は、柱を立てて並べて横に貫を通しただけの簡単な門です。現在は、この山門前の釘貫門が残るのみですが、宝暦年間(1751年から1763年)の木版画には他に3カ所の釘貫門(矢来[やらい])が描かれています。当時の姿をとどめる釘貫門は、現存する貴重な例として、石橋とともに津市の有形文化財(建造物)に指定されています。
毎年1月のお七夜や11月の一身でん寺内町まつりでは、この辺りを多くの人々が訪れ、にぎわいを見せます。当時のにぎわいと重ねながら、一緒に歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
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