「広報津」平成25年4月16日/第176号(音声読み上げ) 歴史散歩(83)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(83)

青山峠の道標地蔵[どうひょうじぞう]

 津市から伊賀市に向かって国道165号を進み、白山トンネルと青山トンネルの2つのトンネルを抜けると、県道青山高原公園線の分岐があります。この県道に入って間もなく、市の境を示す看板があり、そこが青山峠にあたります。青山峠は、古くから旅人にとっては峠越えの難所でした。
 この峠の脇にはせ街道の名残である未舗装の道があり、峠から少し下ったところに高さ1メートル、幅45センチメートルほどの石仏がひっそりと立っています。
 これはしゃくじょうを持った地蔵尊が刻まれている石仏で、その両側に文字も刻まれています。文字は、右側に「みや川迄[まで]十二リ半」、左側に「はせ迄十一リ半」とあり、それぞれの下には人名が刻まれています。「一リ(1里)」は、この石仏が作られた江戸時代の距離の単位で、現在の約4キロメートルにあたります。この地蔵がある青山峠から、伊勢に向かうと宮川まで約50キロメートル、反対に奈良方面に向かうと、初瀬(現在の桜井市)まで約46キロメートルであることを教えるものです。
 江戸時代、伊勢国と京・大阪方面を結ぶ道として使われたはせ街道は、奈良からは「青(阿保)越え伊勢街道」と呼ばれ、桜井市の初瀬を起点に宇陀市榛原で伊勢本街道と別れ、名張市・伊賀市を通って白山 地域に入り、いちし地域を経て松阪市の六軒で伊勢街道と接続します。奈良と伊勢を結ぶルートとしては、宇陀市から美杉地域を通って玉城町に抜ける伊勢本街道の方が近いのですが、はせ街道の方が起伏が少なく、全体的に穏やかな道であるため、遠回りであるにもかかわらず多くの旅人でにぎわったといわれています。
 このように穏やかなルートとして好まれたはせ街道ですが、途中にある青山峠を越えることは大変でした。明和9年(1772年)にこの峠を越えて吉野に向かった本居宣長は、「かの過こし垣内より伊勢地といふ所迄三里がほどつゞきて、ゆけどゆけどはてなきに、雨もいみしうふりまさり、日さえ暮れはてていとくらきに」と、「菅笠日記」にその苦労を記しています。ようやく峠にたどり着いた当時の旅人は、傍らに立つ道標地蔵を見て、残りの旅路に思いをはせていたのではないでしょうか。

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