「広報津」平成25年9月16日/第186号(音声読み上げ) 歴史散歩(88)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(88)

河内の紙屋観音[かみやかんのん]

 しゃくじょうヶ岳を源に、市の北部を貫流して伊勢湾へと注ぐ安濃川。その上流、芸濃町河内にある安濃ダムは、主に津市西北部の農地へ水を供給しています。
 この安濃ダムのダム湖であるしゃくじょう湖を右手に、伊賀市へと至る県道42号線を西に行くと、傍らに「紙屋観音」と呼ばれる石仏があります。この石仏は、元はこの位置にあったのではなく、ダム湖に沈んだ旧道沿いの巨石に彫られた磨崖仏で、ダム建設の際に石仏の部分が切り取られ、現在の位置へと移されました。
 石には簡素な2体の仏像が彫られていて、向かって右側の仏像の横をよく見ると「弁才天」と刻まれています。また、これより少し大きい左側の仏像は、頭上の彫刻が馬の姿のように見えることから、馬頭観音と考えられています。馬頭観音は頭上に馬の頭を頂いたものが一般的なのですが、この像の場合は、頭を深く垂れた馬の全身像に見え、その意外な造形がとてもほほ笑ましく感じられます。さらに、この像の左には、風化が進んで読むのが難しくなっていますが、寛文7年(1667年)9月の造立年や河内の人々の名が刻まれています。
 弁才天は水との関係が深い仏像、一方の馬頭観音は牛馬や家畜の守り神として信仰を集めた仏像です。しかし、この石仏が「紙屋観音」と呼ばれる由縁や、造られた理由などは定かではありません。
 江戸時代、安濃川流域はしばしば洪水に見舞われ、慶安3年(1650年)には、庄屋の屋敷が流失したとの記録があります。水害や凶作に悩まされることが多かった当時、村の安全を願う人々の切なる思いが、この石仏には込められているのではないでしょうか。
 かつては安濃川と河畔[かはん]の往来を見下ろしていた石仏。今は静かにダム湖を見つめています。

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