「広報津」平成26年1月16日/第194号(音声読み上げ) 歴史散歩(92)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(92)

波瀬城跡

 県道43号を、JR井関駅から波瀬川沿いに美杉地域を目指して進むと、右手に東西に横たわる丘陵が見えてきます。この丘陵の、標高150から160メートルの尾根上に、波瀬城跡があります。丘陵の麓から徒歩で10分程、急な斜面のつづら折れの道を登ると城跡へ行くことができます。麓からの高さは約80メートルで、そこからの眺望は西に矢頭山[やずさん]、北に白山町かわぐちの白山比咩[しらやまひめ]神社、東にいちし町井関・小山地区を望むことができます。
 波瀬城は、北畠氏の一族である木造雅俊が応永元年(1394年)に築城し、その子孫の木造雅通・康親親子が織田信長に滅ぼされる天正5年(1577年)まで存在していたといわれています。城は、折れ曲がって伸びる尾根上に東西約190メートル掛ける南北約110メートルの大きさに造られ、城の西の最高部に最も大きな郭(主郭)がありました。その周囲には郭や堀切が連続して設けられ、守りの堅い構造になっています。北畠氏は、多気からいちし地域の平野部へ至る道として、「多気 から 桜峠 から しもの川 から 矢頭峠 から 波瀬 から いちし平野部」というルートに早くから注目し、戦略・物流の要衝であるこの地に城を造ったと考えられています。
 周辺には、同じく北畠一族が造ったといわれる、上出城[うえでじょう]と出丸城[いでまるじょう]の城跡があります。北畠氏の史跡をめぐって、当時の波瀬地区に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


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