「広報津」平成26年2月16日/第196号(音声読み上げ) 歴史散歩(93)

登録日:2016年2月25日

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裏表紙

 

 歴史散歩(93)

向居大師堂の鯖大師[さばだいし]

 白山町二本木の向居大師堂正面入口付近に、左手に念珠を、右手に魚の尾ひれを持って立つ僧形の石像があります。この像は、弘法大師像の一種で、徳島県海陽町にある四国別格二十番霊場の第四番札所、鯖大師本坊の次のような伝説に由来するものです。
 今から千二百年ほど前、弘法大師が四国を巡り歩いていたある時、通り掛かった馬子に積荷の塩鯖を乞うたところ、邪険に断られてしまいました。しばらくして、馬子が馬引坂という所まで来ると、連れてきた馬が急に苦しみ出しました。馬子は先ほどの僧が弘法大師だと気付いて、慌てて鯖を持っておわびし、馬を助けてくれるように頼みました。大師が水を与えたところ馬は元気になりました。弘法大師が近くの八坂八浜の法生島[ほけじま]という所で馬子からもらった塩鯖を海に放すと、鯖は生き返って泳いでいったと伝えられています。
 その時の様子を詠んだ歌として、「大さかや、八坂さか中、鯖一つ、大師にくれで、馬の腹病む」と「大さかや、八坂さか中、鯖一つ、大師にくれて、馬の腹止[や]む」が知られています。一つ目の歌の「くれで」は「くれないで」の意味で、二つ目の歌の「くれて」と、また、「病む」は「止む」と対比させてあり、鯖を供えなかったので馬が腹痛になったことと、鯖を供えたことにより馬の腹痛が治まったことを、それぞれの歌がうまく表しています。この説話は、供物としての塩鯖を通した大師信仰の一種で、昔から、鯖大師の石像に鯖を供えると腹痛が治まるともいわれています。
 四国八十八所霊場にならった石造物を造る際に、番外霊場の石造物として鯖大師像が造られることがありますが、向居大師堂の鯖大師像は、周囲の四国八十八所霊場にならった石造物とは作者が異なり、足元付近に、発願者(寄進者)とみられる「松田権太郎」と、作者「三代目 石勘作」の文字が刻まれています。「石勘」は白山町二本木の丸山行者の石仏群にその名がみられますが、白山町岡の称名寺[しょうみょうじ]の石柱に「石工」「勘平」とあることから、この勘平が鯖大師像の作者であるとも考えられます。
 いずれにしても、鯖を持った弘法大師の石像は、市内でも他には、殿村、榊原町、いちし町田尻、白山町山田野に作例が残っているだけで、珍しい石造物として注目されています。

注:おわび

 広報津1月16日号12ページ「歴史散歩92波瀬城跡」の記事中で「同じく北畠一族が造ったといわれる、上出城」としましたが、現在知られている資料では上出城と北畠一族との関係は確認されておりません。おわびして訂正させていただきます。

 

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