「広報津」平成26年11月16日/第214号(音声読み上げ) 歴史散歩(102)

登録日:2016年2月25日

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裏表紙   

歴史散歩(102)

はせ山 古墳と祈りの山

 津の市街地から西へ進むと田園風景が広がり、その先になだらかな稜線のはせ山(標高321メートル)が現れます。このはせ山には、東麓を中心に数多くの古墳があります。これらは尾根ごとに別々の古墳群に分かれ、総称してはせ山群集墳と呼ばれています。今から1,500年程前の古墳時代後期(6から7世紀)に、それまでごく限られた権力者だけが造っていた古墳を、小集落の有力者も造るようになり、10メートル程の小規模な古墳が急激に増えました。
 はせ山群集墳の古墳の数は、現在確認されているだけでも約500基、その規模は県内でも最大で、これに未発見の古墳を含めると総数は1,000基を超えると言われています。これだけ多くの古墳を一つの集落が築いたとは考えにくく、数多くの集落がはせ山を共同の墓域としていたために、群集墳が出来上がったと考えられます。
 また、南麓の片田長谷町にある長谷寺[ちょうこくじ]は、大和(現在の奈良県)の長谷寺[はせでら]を模したものとして、遠長谷寺[おんちょうこくじ]とも呼ばれています。この寺は伊勢国司北畠氏の祈願所であったとされますが、たびたび戦火に遭いほとんど廃絶していたものを、津藩二代藩主の藤堂高次が再興して藤堂家の祈願所としました。参道を上ると毘沙門天など7体の石仏が残っており、これは藤堂高虎が文禄年間1592から95年)に朝鮮半島から持ち帰ったものと伝わっています。
 はせ山は、安濃川の中下流域のどこからでも眺めることができ、古くから古墳が数多く築かれた日常とは異なる空間として認識されていたため、神聖な祈りの場所となったのかもしれません。
 現在のはせ山にはハイキングコースが整備されていて、登り口から1時間程でたどり着ける山頂からは、市街地をはじめ伊勢湾岸沿いを一望でき、遠くには知多半島なども望むことができます。秋の一日に、先人の思いを感じながら紅葉を楽しむハイキングに出掛けてみてはいかがでしょうか。


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