「広報津」平成27年1月1日/第217号(音声読み上げ) 市長新春対談-西岡良仁さん-

登録日:2016年2月25日

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市長新春対談-さらなる頂きを目指して-

 平成26年10月6日、津市出身のプロテニスプレーヤー 西岡良仁さんを前葉泰幸市長が訪ね、テニスを始めたきっかけから韓国仁川で行われたアジア大会2014や全米オープン出場についてお話を伺いました。

40年ぶりの金メダルを獲得

市長 アジア大会2014での団体戦3位、そして個人戦優勝、おめでとうございます。

西岡 ありがとうございます。

市長 まずは、ご活躍なさったアジア大会のご感想をお聞かせくださいますか。

西岡 個人戦で40年ぶりの金メダル、団体戦では銅メダルを獲得することができました。日本チームが一丸となってメダルを目指していましたので、みんなもとても喜んでいましたし、私もすごくうれしく思いました。

市長 団体戦は本当に惜しいところで銅メダルでしたね。個人戦ではどんどん勝利を重ね、とても調子が良いんだろうなと思っていました。

西岡 正直、調子が良かったという訳ではなかったのですが、試合を重ねていくにつれて、少しずつ調子を取り戻し、どんどん良くなっていきました。準決勝、決勝では自分の思ったプレーがしっかりできたと思います。

市長 プロの選手は毎日毎日試合を重ねていますので、調子が万全でないときでも少しずつ修正しながら、調子を取り戻していくんでしょうね。さて、全米オープンでは、予選を勝ち上がって、突破するのはなかなか大変だったと思うのですがいかがでしたか。

西岡 小さいころから出たいと思っていた大会ですので、予選に出場できてとてもうれしく思いました。実は1回戦ではどう打っていいのか忘れるくらい緊張していましたが、そんな状態でもすごくいいプレーができて、試合後、コーチからはそうは見えなかったと言われました。2回戦では1回戦より自分の思ったプレーができました。

市長 本戦の雰囲気はいかがでしたか。

西岡 世界トッププレーヤーのフェデラー選手だとか、錦織圭選手などと、同じトーナメントに出場しているということ自体がすごいことだなと思いました。

市長 全米オープンでは、錦織圭選手が準優勝され、日本中がテニスに対してとても盛り上がりを見せています。留学先が同じ錦織選手とはご一緒することもよくあるのではないですか。

西岡 なかなか会う機会は少ないのですが、アメリカで一緒に練習をさせていただいたり、家に招かれて食事をさせていただいたことがありました。

市長 尊敬する先輩ということですね。

西岡 もちろんそうです。

スポーツ留学で単身アメリカへ

市長 アメリカではIMGアカデミーにスポーツ留学をされていました。そのころのことについて、お話しください。

西岡 IMGアカデミーには、テニス以外にもいろいろなスポーツのプログラムがあり、世界中からトップ選手が集まってきます。テニスも同年代をはじめ、年上の選手やトッププロまで幅広くたくさんの選手が参加しているので、毎日違う選手と練習ができたり、自分よりも上のレベルの人と練習ができるということが自分にとってすごく良かったと思います。

市長 フロリダでしたね。現地では一人暮らしをなさっていたのですか。

西岡 他の何人かの選手と寮で一緒に生活していました。

市長 そういった生活スタイルだと、語学力が上がりますね。

西岡 英語は少しだけ上達しました。

市長 何か困ったことはありましたか。

西岡 困ったというか苦労したのは食事ですね。日本食が恋しくなってしまったのですが、食べたいものがなかなか食べられず、とても苦労しました。

市長 良かったところは何ですか。

西岡 いろいろな選手と出会い、話ができるので、遠征に行ったときには、知り合いの選手に練習をお願いしたり、ホテルをシェアしたりすることができました。世界中に友人がつくれたということも、テニス選手にとってはとても大事なことだと感じています。

市長 アメリカ留学を始めたのは何歳の時ですか。

西岡 15から16歳の時ですね。

市長 何年間くらい行かれたのですか。

西岡 約3年半です。

市長 その間、西岡選手はテニスに打ち込みながら、自我や自己といったものを確立されたのだと思います。西岡選手とお話をしていますと「国際人」という印象を受けますし、グローバルスタンダードをお持ちの方だと感じます。中学を卒業してすぐのころから、世界の方たちと交流しながら自分を磨いてこられたからだと思います。19歳ですでに世界に通用するというのは、素晴らしいことですよね。そういう格好良い西岡選手に憧れ、国際人を目指す津市民も多く出てくるのではないでしょうか。
 さて、西岡選手がテニスを始めたきっかけを伺えますか。

西岡 親がテニススクールを経営しており、兄もテニスをやっていたこともあって始めました。兄とは2歳離れており、ジュニアの場合、なかなか追い付くことはできないのですが、負けたくなかったので頑張りました。

市長 養正小学校、橋北中学校時代はほとんどテニス漬けの生活だったのですか。

西岡 そうですね。本当にテニスを中心に生活していました。

市長 今日は、ニックインドアテニスカレッジでお話を伺っていますが、まさにこの場所で練習をされていたんですね。

西岡 はい。いつも練習していました。

ツアーでベスト4を目標に!

市長 三重県では2018年にインターハイ、そして2021年には三重国体が行われます。その間の2020年には東京オリンピックが開催されるなど、これからスポーツがますます盛り上がりをみせることでしょう。津市では現在、産業・スポーツセンターというスポーツ施設の整備を進めています。その施設にはアリーナや武道場、プールなどを造る予定で、そのプールは現在、殿村にある津市民プールを移転して整備しようとしているのですが、その跡地をどうしようかと考えています。一つのアイデアとして、テニスコートにしてはどうかというものがあるのですが、いかがでしょうか。

西岡 良いアイデアだと思います。津市で大きな大会が開けるよう、もっともっとテニスコートを造ってもらえたら、これからもジュニアの育成に役立つと思います。

市長 今年、西岡選手がどのような活躍をされるのか、私も市民として期待しています。最後に、これからのスケジュールや目標を教えてください。

西岡 もっと多くのツアーに挑戦したいと考えています。もちろんツアーでは、さらに上位で活躍する選手になりたいと思います。

市長 今年の目標はどうですか。

西岡 ランキングで2桁以内に入ることです。チャレンジャー大会での優勝、さらにツアー大会でのベスト4を目指して頑張ります。

市長 市民一同応援していますので、これからも頑張ってください。

西岡 ありがとうございます。

市長 本日はありがとうございました。

 

プロテニスプレーヤー 西岡良仁[よしひと]さん

津市出身。1995(平成7)年生まれ。養正小学校、橋北中学校を経て青森山田高等学校へ進学。2010年9月からIMGアカデミー(アメリカフロリダ州)へスポーツ留学し、2014年1月にプロテニスプレーヤー(ヨネックス所属)に転向。2008から2012年ジュニア・ナショナルチームメンバー(JTA)、2013年11月全日本テニス選手権大会準優勝(10代では24年ぶりに決勝進出)、平成25年度日本テニス協会ジュニア大賞受賞。ATPランキング・シングルス153位(2014年12月1日現在)、JTAランキング6位(2014年12月1日現在)。

市長新春対談は津市ホームページ・市長の部屋の市長対談でもご覧いただけます。
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