「広報津」平成27年3月16日/第222号(音声読み上げ) 歴史散歩(106)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(106)

新指定の文化財 大宝院[だいほういん]所蔵文書

 室町時代から江戸時代までの全51通3冊の古文書群「大宝院所蔵文書」が、昨年12月25日、新たに市有形文化財に指定されました。
 この古文書群が伝わる大宝院は、もともと六大院大宝坊と称して、文安元(1444)年に奄芸[あんき]郡窪田(現在の大里窪田町)に創建されました。六大院は、京都の醍醐寺の末寺で、歴代天皇の勅願[ちょくがん]の綸旨[りんじ]を賜る寺院でした。後に、寺院建物は兵火に見舞われましたが、天正8(1580)年、大門のかんのんじ境内へ移転し、再興されました。さらに、慶長5(1600)年に津城下が兵火に遭って六大院も被害を受けましたが、藤堂高虎が津城主になり、津城の大改修と津の町づくりを行う中で、かんのんじのあった場所が津城の鬼門に当たるとして、かんのんじとともに再建されました。昭和20年には、戦災によりかんのんじ境内が全焼しましたが、昭和43年に再興し、現在はかんのんじ大宝院「津の観音さん」として親しまれています。
 このような歴史の中で、幸いにも難を逃れた古文書群は、大宝院の由緒、歴史を語る上で重要であるだけではありません。三重県内で数少ない天皇の勅願所であることを伝える天皇綸旨や女房奉書、朝廷との取り次ぎを果たす京都の公家との関係を示す文書が良好な状態で伝わるほか、醍醐寺の末寺のゆえんによる一括文書も残ります。さらに、中世から近世へ歴史が流れる中で豊臣秀吉より寺領100石が与えられた朱印状や寺領を示す文禄3(1594)年の検地帳のほか、徳川2・3代将軍による寺領寄進の朱印状などの寺領関係資料も含まれます。
 この古文書群は、質・量ともに市内では他に類がなく、保存状態も良好なことから、今回市の指定有形文化財になりました。
 大宝院が所蔵する資料は、津観音資料館で公開されています。また、3月13日金曜日から5月17日日曜日の期間中は、今回指定した「大宝院所蔵文書」をはじめ、昨年、県指定有形文化財となった虚空蔵菩薩像[こくうぞうぼさつぞう]など大宝院に伝わる多くの資料が、垂水にある石水博物館の企画展で、展示公開されています。この機会に、大宝院の歴史と文化財に触れてみてはいかがでしょうか。

 

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