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芸濃町むくもとは、江戸時代に伊勢別街道の宿場として栄え、問屋場、旅籠[はたご]、茶店などがあったことで知られています。現在のむくもとバス停から50メートルほど東側、銀行とガソリンスタンドがある交差点に、道標と里程標が並んで建っています。
道標は、高さ約1メートルの自然石で、年代を示す銘文はありませんが、江戸時代後期のものと考えられています。西面には「左さんくう道」と大きく書かれていて、街道を関方面から進んできた人々に、伊勢神宮への参宮道(伊勢別街道)を案内するように置かれています。また、南面には小さく「右榊原道」と書かれており、江戸時代に湯治場として名高かった榊原温泉への道を案内しています。この道標に対応するかのように、この分岐を南に進んだ北神山の集落にも嘉永5(1852)年の道標があり、「右さかきはら道」、「左つ道」と書かれています。
また、むくもとの道標の横に建っている木製の標柱は、「里程標」と呼ばれるもので、裏面に「明治四拾三年七月 三重県」の文字があります。明治6(1873)年に政府は各府県ごとに「里程元標」の設置を命じ、それぞれの間の距離について調査を始めました。むくもとの里程標は高さ2メートル16センチメートル、幅29センチメートルの角柱で、東面に「大里村大字窪田へ貳[に]里貳丁五間」、南面に「津市元標へ三里三拾三丁八間」、西面には「関町元標へ貳里五丁五拾壹[いち]間」と各地までの距離が書かれています。この里程標は木製のため、長年の風雨による傷みが激しく、当時のものは芸濃郷土資料館に展示されていますが、昭和58年に新たに複製されて設置されました。
この道標と里程標は、江戸時代から明治にかけて、むくもとが交通の要衝であったことを今に伝えています。付近には国の天然記念物であるむくもとの大ムクや、江戸時代の旅籠の雰囲気を今に残す角屋旅館(国登録有形文化財)もあるので、道標と里程標と合わせて伊勢参宮でにぎわった伊勢別街道の雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。
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