稲垣定穀

登録日:2018年8月3日

天文・地理研究の先達 稲垣定穀

 

稲垣家の構えの写真
八町にある納所屋(稲垣家)の構え

 

伊賀街道の八町は、津城下への入口に当たることから商業・交易の町として栄え、商家が軒を連ねた。この西端に屋号を納所屋と称す、おおだれ、連子格子のある古い構えの家がある。
稲垣定穀は、ここ納所屋の5代目主人で、商いの傍ら天文・暦学・地理を研究した人物として知られている。

明和元(1764)年に生まれ、通称は佐兵衛、号を見山とした。質実、謹直な性格で、久居出身の医者橘南谿に天文学を学んでいる。各地を周遊して旅行記「西遊記」「東遊記」を刊行するなど、旅行家としても知られる南谿であるが、定穀もその影響を大いに受けたようである。さらに、江戸に出ては伊能忠敬、本多利明らと接して多くのことを学んでいる。著書には地誌に関するものが多くみられ、「伊勢志略」「凸頭彙稿」などがある。
稲垣家に伝来した資料は、市の図書館に寄贈され、「稲垣文庫」として収蔵されている。定穀の著書、書籍、書簡、版木、地球儀や測量器具など、その数は約3,000点にのぼる。その中で、200点余りある地図のコレクションは最大の特色といえる。

特筆すべきものに、イタリア人イエズス会宣教師マテオ・リッチが作成し、中国明代に北京で木版刷りされた世界地図「坤輿万国全図」を写したものがある。中国を中央に配しているのが特徴である。写したものでも国内に20数点しかないという大変貴重なもので、定穀によって丁寧に書き写されている。
市内では、幕末の天文家として知られる神戸の井田理左衛門が、天保7(1837)年に京都で写したものがあり、津の人たちの世界や宇宙へ寄せた強い思いが感じられるようである。
そのほか、伊勢国の精巧な地図を作ろうと、十余年という長い年月をかけて測量し、製作したものがある。文政4(1821)年に作られた「八国接攘図」がそれである。

地球儀の写真
地球儀

 

また、地球儀や測量・製図用具なども自ら製作している。写真の地球儀は箱に納められ、箱蓋には「地球」との墨書がある。寛政6(1794)年に作られた桂川甫周の地球儀の流れをくむもので、オランダ版の各種地図を参照した世界図を球体化したものとされる。手書きで着色が施され、また、地名なども詳細に記されていて見ていても楽しい。直径は36.3センチメートルあり、19世紀ごろに作られたものと考えられている。

玉保院納所道場の墓の写真
玉保院納所道場の墓

 

定穀は、天保6(1835)年11月19日病死、八町から安濃川を渡った納所にある玉保院納所道場に葬られた。墓地のほぼ中央に「見山文清之墓」と刻まれた墓碑が立ち、碑の裏面には稲垣氏、側面には生没年が記されている。享年72歳であった。

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