橘南谿

登録日:2018年8月3日

松尾芭蕉、松浦武四郎、大黒屋光太夫といった人物は、江戸時代、諸国を見聞して活躍した三重県の人たちですが、久居西鷹跡町出身の医学者、橘南谿(本名:春暉、1753~1805)もその一人です。
幼少の時期から学問を好んだ南谿は、19歳で京都に上って医学を学び、漢方から蘭方まで修めました。特に西洋医術=解剖を重んじ、そのころ日本でようやく行われていた解剖医学の正誤を確かめようと数々の解剖に参加し、近代実証医学の道を開くとともに、多くの医学書を残しました。

天明3(1783)年、南谿は京都で人体解剖を行いましたが、このことが歴史に残る事実となっているのは、自らが執刀したことにあります。それ以前にも解剖例はいくつかありましたが、医者はただ傍観していただけでした。というのもその当時、解剖は残忍で無益な行為と、想像を絶する非難を受けていたのです。しかし南谿は、一人の解剖が数千人の命を救うという信念のもとに、自ら主催者としてこれを実施したのでした。
また、自分のもとに治療を求めてくる病人だけでなく、広く世の人々の病苦も救わねばと考え、武者修行ならぬ医術修行で全国を駆けめぐりました。さらに文筆家としての才能にもたけ、修行で訪れた各地での体験を記した「西遊記」「東遊記」などの紀行文は、当時の多くの人に読み親しまれました。

橘南谿
橘南谿の書
橘南谿の書2

 

このページに対するアンケートにお答えください

このページは見つけやすかったですか?
このページの内容はわかりやすかったですか?
このページの内容は参考になりましたか?

このページに関するお問い合わせ先

生涯学習課 文化財担当
電話番号:059-229-3251
ファクス:059-229-3257