「広報津」平成28年1月16日/第242号(音声読み上げ) 歴史散歩(116)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(116)

市指定史跡 上野山3号墳

市いちし庁舎から県道15号(久居美杉線)を西に進むと、右手に「とことめの里いちし」が見え、その北側に広がる丘陵は住宅団地になっています。この丘陵は東西約1.5キロメートル、南北約0.8キロメートルで、地元では上野山と呼ばれ、古くから石器や土器片が多数散布していることが知られていました。
昭和20年代の調査記録などによると、上野山には60基余りの古墳が存在し、中には石棺のほか埴輪が出土した古墳もありました。
昭和40年代に浄水場建設と宅地造成の計画があり、これに先立って試掘調査が行われました。しかし、開墾や土砂の流出のためか、遺跡の多くが消滅したようで集落跡などは確認されませんでした。古墳は、造成の際、公園緑地として現地に保存された上野山3号墳のほかに6基の古墳が確認されましたが60基には遠く及びませんでした。6基の古墳は発掘調査が行われ、6世紀中頃から7世紀中頃にかけての横穴式石室が確認されています。
上野山3号墳は、現在、高野団地内の「たこ山公園」の中に保存されていて、地元では「大塚」と呼ばれています。直径が27メートルもあり、いちし地域では最大級の円墳ですが発掘調査は行われていません。古墳の斜面には小さな川原石を敷き詰めていたようで、5世紀ごろに築かれたと考えられています。上野山3号墳は、いちし地域では早い時期に築造された規模の大きな古墳であり、地域の古墳形成過程を考える上で貴重な存在です。
現在、上野山3号墳は外観を見学することができます。古墳の東側に立つと、雲ず川の下流域が一望でき、ここが古墳を築くのに最適な場所であったことがよく分かります。千数百年の時を経て、消滅を免れ、大切に保存されている古墳を一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 

その他の情報

コミュニティ助成事業(宝くじ助成金) 豊が丘 地区の防災備品を整備

コミュニティ助成事業は、自治総合センターが宝くじの受託事業収入を財源とし、宝くじの社会貢献広報事業として、地域社会の健全な発展を図るためにおこなっているものです。
豊が丘 地区自主防災協議会は、平成27年度のコミュニティ助成事業を活用し、テントやトランシーバーなどの備品を整備しました。これらの備品は、平成27年8月に行われた豊が丘 地区の避難訓練で活用されました。


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