「広報津」第313号(音声読み上げ)表紙、新年のごあいさつ、第40回市長対談

登録日:2019年1月1日

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表紙

広報津 平成31年1月1日 第313号

写真 ニコニコ25組の皆さんが、新春号の表紙を飾ってくれたよ

新年のごあいさつ

平成31年の新春を迎えて

津市長 前葉泰幸

津市民の皆様、あけましておめでとうございます。輝かしい新春をお迎えのことと心からお慶び申し上げます。

昨年4月から新しい総合計画をスタートさせ、総合計画の一丁目一番地に掲げた未来を担う子どもたちのための施策として、市立初の3つの幼保連携型認定こども園の開園、未就学児の子ども医療費の窓口無料化を始めました。

安全で安心して暮らすことができるための施策では、津北部地域の海岸堤防整備、大谷踏切の拡幅、津興橋の架け替えに着工しました。

また、高校総体の5競技が市内6会場で開催され、新たな津市のランドマークとなったサオリーナ・三重武道館には、オープンから1年間で目標来場者数を大きく上回る51万7,000人の方にお越しいただきました。2021年の三重とこわか国体・三重とこわか大会に向けて、市民の皆様のスポーツや健康づくりへの関心の高まりを感じることができた年となりました。

今年の5月には元号が変わり、国全体が平成から新しい元号のもと、新しい時代の幕が開けます。平成という時代を振り返れば、情報通信技術の飛躍的な革新によって、人材、資源、情報などが、国内外の垣根を超え、社会や経済のグローバル化が一気に加速する一方、バブル経済のピークから一転、日本経済は長期にわたり低迷したものの、不断の努力でこれを乗り越えてきました。地方自治体では大きな転換を迎え、全国で平成の大合併が進むなか、本市においても10市町村が行政という垣根を超え、合併という偉業を成し遂げ、時代の流れに柔軟に対応できる持続可能なまちづくりを進めてきました。

社会経済が大きな成長を遂げ、成熟化が進んだ今の日本がこれから歩み始めようとする時代は、人口減少がさらに進むなかにあっても、その成熟を力に、質の向上や新たな価値観の創造など、可能性を秘めた多様性のある社会へと進んでいくのではないでしょうか。本市においても、平成の時代に築き上げてきたまちづくりの土台を礎にして、県都津市の新時代を切り拓いていかなければなりません。これからも津市は志高く、誰もが将来に夢や希望を持てるまちづくりに向けて市民の皆様とともに歩んでまいります。

皆様にとって、本年が希望に満ちあふれる年となりますことをお祈り申し上げ、新年のごあいさつといたします。

将来に希望を持てる津市を目指して

津市議会

新年あけましておめでとうございます。

市民の皆様には、希望に満ちた新春をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。

また、旧年中に賜りました市議会への格別のご理解とご協力に対し、厚く御礼申し上げます。

昨年は、高校総体が開催され、本市でも6会場5競技において、多くの高校生が熱い戦いを繰り広げ、たくさんの感動とスポーツの活気にあふれた一年となりました。

一方、平成30年7月豪雨をはじめ、複数の台風が日本列島へ上陸する等、日本各地が甚大な被害に見舞われ、本市でも4つの台風の影響により大規模停電が発生しました。市議会においても、台風被害に係る災害復旧費等の補正予算を議決いたしましたが、改めて市民の安心・安全な暮らしを守るための議論や、対策の重要性を実感した年でもありました。

本市においては、昨年4月に津市総合計画基本構想・第2次基本計画をスタートさせています。

我が国が経験のない人口減少時代を迎え、本市の人口も減少に転じた極めて厳しい局面の中、津市議会では総合計画の策定に当たり、市民の皆様が幸せに暮らし続けることのできる社会の実現を願って、丁寧な議論を重ねてまいりました。社会経済に大きな影響を与える課題を抱えた時代における総合計画の船出であり、その道のりは決して平坦ではありませんが、今後も議会の権能の適正な行使により市政を検証し、将来に希望を持てる津市の実現に取り組んでまいります。

津市議会では、昨年1月に、議員定数削減後初めての市議会議員選挙が実施され、新たに34人の議員をご選出いただきました。新しい体制におきましても、二元代表制の一翼を担う議会として、市民の皆様の負託と信頼に応え、皆様の声を市政にしっかりと反映させ、議会が一丸となって本市のより良い発展に向けた議会活動を展開いたします。

議会の会議の内容は、開かれた議会を目指し、インターネットを介してライブ映像と録画映像を配信しています。スマートフォンでもご視聴いただけますので、ぜひ多くの皆様にご覧いただければと思います。

市民の皆様のより一層のご支援とご協力をお願いいたしますとともに、本年が皆様にとりまして、輝かしい一年となりますようお祈り申し上げ、新年のごあいさつといたします。

第40回市長対談 高校王者は卓球界のサラブレッド

平成30年度インターハイ卓球・男子シングルス優勝 とがみ しゅんすけさん(野田学園高校2年)と、津市長 前葉泰幸による対談

平成30年10月10日、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の卓球・男子シングルスで優勝された とがみ しゅんすけさんをお迎えし、高校日本一に輝いた時のエピソードや、生まれ育った津市での思い出を前葉泰幸市長が伺いました。

とがみ しゅんすけさんのプロフィール

平成13年8月24日、津市生まれ。修成小学校、橋南中学校から野田学園中学校(山口県)に転校、現在、野田学園高校2年。トウキョウ オープン 2018 第70回東京卓球選手権大会男子シングルス優勝。右シェーク攻撃型、松生卓球道場出身。

父は高校ダブルス王者 兄2人の背中追い掛け

市長 津市出身のとがみ選手は、ふるさとの期待の星として、現在、山口県の野田学園高校で活躍中です。インターハイ・シングルスでの優勝、おめでとうございます。津の皆さんも大喜びでした。まずは、団体戦から始まったんですよね。

とがみ 団体、ダブルス、シングルス全て優勝するつもりで3冠を目指していました。学校対抗では予想以上に早く負けてしまってショックが大きかったです。ここからまた頑張れるのかな、という気持ちはありました。

市長 団体戦が残念な結果に終わってしまって、次は男子ダブルスですね。やっぱり、3つ出るということはタフな日程なんですか。

とがみ 3種目こなすとなると、相当な体力が必要になりますし、精神力も必要になってきます。

市長 ダブルスが始まったときには、切り替えはできていましたか。

とがみ 正直、まだ学校対抗で負けてしまったショックが大きくて、自信はなかったです。

市長 ダブルスのパートナーも一緒にショックを引きずっていたのですか。

とがみ はい、あまり思うようにいきませんでした。

市長 次はシングルスですが、1年生の時は準優勝だったんですよね。今回は優勝したいという思いがあったのではないですか。

とがみ 前回は決勝に進んだことで満足してしまった部分がありました。悔しい気持ちがあったので今回は優勝したい思いはすごくありました。

市長 1年生での決勝戦進出は、すごく頑張ったと思うのですがそれでも悔しかったですか。

とがみ 決勝までいったということは自信になりましたが、やはり悔しかったです。

市長 男子シングルスだと決勝戦までいくのに何試合くらい戦うのですか。

とがみ だいたい7、8試合ですね。

市長 大変ですね。2日間くらいかけて試合をするのですか。

とがみ 2日間で1種目です。

市長 準決勝まで勝ち抜いて、いよいよ決勝戦。相手は愛工大名電(愛知県)の田中佑汰選手でした。愛工大名電も強豪校で学校対抗でもよく当たりますね。田中選手とは何度か試合したことがあるのですか。

とがみ 小学校の時からずっと対戦してきて、最近ようやく勝ち越せるようになってきました。

市長 相手は1年先輩の3年生ですね。今回は勝ち切ったという感じですか。

とがみ 戦術を巧みにこなしてくるので、やりづらい相手ではありますが勝ち切ったことは自信になりました。

市長 高校生ナンバーワンとなられたわけですが、うれしかったでしょうね。

とがみ ずっと夢見てきたことなので、やっと全国優勝できたという感慨があります。

市長 全国のトップを勝ち取った とがみ選手ですが、津市にあるこの松生卓球道場で練習を重ねてこられました。卓球は何歳の時から始められたのですか。

とがみ 3歳ごろからラケットを持ち始めました。

市長 どういうきっかけだったのですか。

とがみ 家族が卓球一家だったこともあり、2人の兄がともにクラブチームに通っていて一緒に遊びに行っていました。

市長 自然な形で卓球を始めたわけですね。小さな頃は楽しかったですか。

とがみ とても楽しかったです。

市長 どういうことが楽しかったのですか。

とがみ ラリーを続けることが一つの楽しみで、そこから試合に出て勝てるようになったことでもっと楽しくなりました。

市長 一番小さな頃の試合の記憶は何歳ぐらいの時ですか。

とがみ 小学校1年生の時です。

市長 勝った時の思い出ですか。

とがみ 勝った思い出と負けた思い出と両方ありますね。

市長 負けた思い出もあるんですか。よほど悔しかったのでしょうね。修成小学校6年生の時のとがみ選手と、私も松生卓球道場で対戦をしましたよね。

とがみ よく覚えています。

市長 3本しか取れなかったという話をしたら、とがみ選手から3本も取れたんだという人もいました。その時は11対3というスコアで敗れました。その時のラケットがこれです。こちらの卓球道場は、小学生もたくさん練習していてシニアの方も練習していますね。どういう道場ですか。

とがみ いろいろな世代の人が通っていて、強い選手も来られたりします。小学生の頃は高校生やシニアの方に相手をしてもらって、それが今に生かされています。

市長 ご家族が卓球一家だとおっしゃいましたが、実はお父さんも1982年のインターハイの卓球ダブルスに柳川高校(福岡)から出場されました。お父さんのとがみ義春さんは見事優勝されているということです。お父さんとかなりラリーをしたのでしょうね。

とがみ ないですね。

市長 ハハハハ、それはまたどうしてでしょうか。

とがみ 1回も記憶になくて。

市長 お父さんもすごく強い選手ですよ。

とがみ はい、ずっと話には聞いていたのですが、まだ直接打ったことがなくて。

市長 不思議な感じがしますが、親子でインターハイ優勝は素晴らしいことだと思います。

さらなる成長求め山口へ 不慣れな共同生活も充実

市長 野田学園高校に進まれる前に、卓球の強豪校である野田学園中学校に転校されましたね。私はとがみ選手が小学6年生の頃を覚えているのですが、東京のJOC(日本オリンピック委員会)のエリートアカデミーからも声を掛けられて、中学進学時に東京に行こうか、いろいろなことを考えられたと思います。結果的に橋南中学校に進学されて野田学園中学校に転校されましたが、どのように自分で自分の道を選択していったのですか。

とがみ 中学校を決める時はどうしても卓球を楽しみたいという気持ちがあり、地元に残ってみんなと切磋琢磨して成長していきたいと思いました。しかし、中学1年生の全中(全国中学校体育大会)ですぐに負けて、それが大変悔しかった。このままでは成長できないので強豪校に入って鍛え直したいと思いました。

市長 なるほど。この松生卓球道場で卓球を楽しくプレーすることはとても良かったと思いますが、一方で強豪校に行くと雰囲気は全然違うものでしたか。

とがみ 周りのことは全て自分でしなければいけないですし、食事面など自分で気を付けなければならないことも多かった。そのあたりは勉強になりました。

市長 寮生活ですね。山口県以外からも選手が大勢集まってきていて、共同生活をしながら練習をする。親元を離れて大変だったでしょうね。練習の内容はどうでしたか。

とがみ 基礎練習をたくさんこなしています。高校生になると相手も体が強くなり、強いボールを打たなければ勝っていけない世界です。トレーニングを重ねることで強くなりました。

市長 野田学園高校の卓球部は、かなり基礎練習を大切にしているのですね。授業のある日は、1日何時間ぐらい練習するのですか。

とがみ 授業のある時が4時間から5時間です。授業のない時は午前中に3時間、午後4時間。合計7時間くらいですね。

市長 そんなに長い時間練習していると、さすがに嫌になりませんか。

とがみ 嫌になるときもありますが、自分が成長していくためには耐えないといけないという気持ちで頑張っています。

市長 ラケットを握って実際に卓球台を囲む時間はどれぐらいですか。

とがみ 3時間から4時間くらいは打ち続けますね。

市長 卓球選手は俊敏ですが、あのような動きを身に付けるには体幹が強く基礎体力がないと大変だと思います。基礎トレーニングはどれくらい時間をかけていますか。

とがみ 毎日のトレーニングの中で、特に体幹トレーニングは30分間に何種目かこなしたり、別の日に1時間くらいウエートトレーニングをしたりします。

市長 チームの仲間との関係や先輩後輩の関係はどうですか。

とがみ 野田学園は比較的楽しいというか明るい上下関係です。先輩にアドバイスを聞くこともよくあり、とても良い関係です。

市長 後輩に教えることもあるのですか。

とがみ 後輩からもよくアドバイスを求められますが、自分なりにしっかり返しています。

市長 アドバイスをすることは、自分にとってもプラスになりますか。

とがみ アドバイスしている途中に新しい発見もありますね。

目指せ東京オリンピック 夢実現へこの一年が勝負

市長 この4月には最高学年の3年生になるわけですが、その前に1月には全日本卓球選手権大会があります。一般の部とジュニアの部のどちらに出場されるのですか。

とがみ 両方とも出ます。

市長 大会に向けての決意をお話しください。

とがみ ジュニアの部については、インターハイで優勝していますし優勝候補という立場で優勝を目指して頑張ります。シニアの部では、現在のランクを上げることを目標に頑張っていきたいと思います。

市長 すでにシニアの部でランキングを持っておられて、ランキング通りに進めばシニアの部でも上位に行けるんですよね。期待しています。2020年の東京オリンピックやその次のオリンピックも視野に入ってきますね。

とがみ オリンピックには出場したいです。

市長 どのように、その夢を実現しますか。

とがみ オリンピックの代表は、世界ランクの上位から選ばれるため、まずは出場する国際大会で結果を残し世界ランクを上げて、オリンピック代表候補に少しでも近付けるように頑張っていきます。

市長 オリンピックの卓球競技は、すごく注目されていてテレビ中継が入ります。日本国民はテレビの前で手に汗を握って応援します。試合をしている選手は、オリンピックのような大きな舞台ではどのようにメンタルをコントロールするのですか。

とがみ 日本の大会や海外の大会などと比べても、オリンピックの雰囲気は一味違うだろうと思います。弱気になれば会場の雰囲気にのまれてしまうと思うので、自信を持ってコートに立たなければ勝てないでしょう。

市長 自分をしっかり持って、ということですね。それでも、試合中に揺れ動くでしょう。

とがみ 揺れ動きますね。いろんなことを考えてしまいます。

市長 サーブを出す時とか、ここ一本という時に考え過ぎることがあるのですか。

とがみ 時間があると考え過ぎてしまうので、なるべく考えないように点を取ることだけに集中しています。

市長 東京オリンピックの翌年には国体が三重県にやってきます。2021年三重とこわか国体です。ふるさと選手で出ていただけませんか。

とがみ もちろん、出場したいです。

市長 ふるさと選手には、さまざまな条件がありますが、とがみ選手も今後の活躍の中で三重県のことも大切にしていただければと思います。

最後に とがみ選手のこれからの目標や夢など、世界を舞台に活躍する自分の姿を思い描きながらご自由にお話しください。

とがみ これから東京オリンピックやその次のオリンピック、世界選手権など大きな大会がありますが、そこに出場してメダルを取って、また松生卓球道場に帰ってこられるように、頑張っていきますので応援よろしくお願いします。

市長 ありがとうございます。とがみ選手が目標を達成されて、世界で活躍され、そして原点である松生卓球道場に笑顔で戻ってきてくださることを期待し、津市民みんなで応援していきたいと思います。

とがみ ありがとうございました。


 

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