「広報津」第397号(音声読み上げ)歴史散歩 第192回 てらまちひゃくはっとう、津市(このまち)で輝く

登録日:2022年8月16日


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歴史散歩 第192回 てらまちひゃくはっとう

8月15日頃を中心に行われるお盆は、祖先をまつる日本の夏の行事です。市内各地でもかんこ踊りなどが行われるこの時期、かつて津城下では、てらまちひゃくはっとうという盆行事がありました。てらまちひゃくはっとうは、大坂冬の陣と夏の陣で戦没した藤堂藩士をしのび、旧盆の7月15日の夕べに行われていたものです。

初代津藩主である藤堂高虎は、現在の愛媛県今治市から、慶長13(1608)年9月に伊賀上野に、翌10月に津に入城しました。その後、慶長19(1614)年に大坂冬の陣に、そして翌年の元和元年に高虎の旧主である豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣に参戦しています。

夏の陣では、現在の大阪府やお市にあたる場所で、豊臣方の ちょうそかべ もりちか、木村重成の部隊と交戦しました。やお・わかえの戦いと呼ばれるこの戦いは両軍で多くの死傷者を出し、後にやおにあるじょうこう寺に藤堂家家臣七十一士の墓と位牌がまつられました。

ちなみに、これら家臣の菩提を弔うため、高虎は寛永5(1628)年に京都市にある南禅寺の三門を再建しています。この三門は、後に歌舞伎の演目 さんもんごさんのきりの中で、石川ごえもんが楼上から満開の桜を見て絶景かな、絶景かなというせりふを言ったことで有名になりました。

さて当時、津城下町の形成に当たり、城下東側の防御として、そして漁業・商業の発展のために堀川が開削されました。極楽橋から入江町堀留まで通じていた堀川の西側には商人が集まり、東側には寺院が建ち並んでいました。この川沿いの東側に植わっていた柳に、大坂冬の陣・夏の陣の戦没者供養のため108個のたかはりちょうちんがともされたことが、てらまちひゃくはっとうの始まりです。

てらまちひゃくはっとうは、第二次世界大戦中の灯火規制により廃止されるまで、この地域のお盆の風物詩として行われていました。堀川は昭和39年に埋め立てられ、現在は岩田川沿いの北側に架かる極楽橋付近にわずかに昔の面影を残しています。てらまちひゃくはっとうも忘れられたものとなり、極楽橋中継ポンプ場入口に設置した石碑にその由来が記されるのみとなっています。

津市(このまち)で輝く

ボリューム68、有名人になっても地域行事は絶対参加
香良洲小学校 児童会長 よねかわ おうた 11歳

プロフィール

2010年生まれ。地域のお気に入りの場所である香良洲神社で行われる輪くぐりは毎年家族で参加する。伝統行事 宮踊りでは太鼓を叩きたい。

潮風香るこの町で伝え守る伝統と地域の絆

約4300人が暮らす香良洲地域は、津市の東部、伊勢湾と雲出川に面した三角州地帯に位置する。今年3月には香良洲橋が架け替えられ、よりアクセスしやすくなった海岸には、潮干狩りや海水浴に多くの人が訪れる。

遠浅の海に張った網の中に魚を放ち、つかみ捕りする立て干しや、地域の名産品である梨の授粉や収穫に携わるなど、全国的にも珍しい行事が授業の一環として取り組まれているのも、地域の絆が強い香良洲ならでは。

(よねかわさんのコメント)香良洲地域では、おきひきや宮踊りなどの伝統行事も多く行われていて、おじいちゃんやお父さんも代々参加してきたと聞いています(コメント終わり)と、香良洲小学校で児童会長を務めるよねかわさん。

津市無形民俗文化財にも登録されている香良洲神社のおきひき行事は20年に一度行われる。香良洲神社の式年遷座に必要な木材をお木曳き車に積み込み練り歩く一大行事で、地域住民が総出で参加する。(よねかわさんのコメント)次の開催は令和15年。22歳の時、僕も家族や友達と絶対に参加します(コメント終わり)と、大切にしている伝統行事への思いを語ってくれた。

(よねかわさんのコメント)将来は人の役に立つ仕事がしたい。それと有名にもなりたいです。香良洲のことが大好きだから、有名人になっても香良洲の行事には絶対に参加して、伝統を守っていきたいです(コメント終わり)。

その他

2ページ目から3ページ目までに掲載の、市民の暮らしを支える社会基盤 第4回 香良洲地域編の項で、香良洲小学校児童が、香良洲地域を紹介しています。


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