登録日:2019年7月16日
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美杉地域を通る旧伊勢本街道は、かつて大和と伊勢を結ぶ主要な幹線の一つでした。道中は峠が多く険しいものの伊勢への最短経路として利用されることも多く、街道沿いには石名原・奧津・たげの宿場がありました。その経路は国道368号と重複したり交錯したりしながら東西に延びていて、交通路としての機能は国道に移りましたが、今も生活道として利用されています。
たげは、かつて伊勢国司北畠氏の本拠であり、現在北畠神社となっている場所に当主の館が築かれ、その周辺には城下が広がっていたと考えられています。戦国時代の永禄元(1558)年8月には、京の公家であった山科ときつぐが、朝廷儀式の資金を集めるために有力者を頼って、伊勢国では一身田のせんじゅじと たげの北畠とものりを訪ねています。その時のたげまでの経路について、当時 ときつぐ自身が書いた日記の ときつぐきょうきには、イサワや大石など現在の松阪市の地名が記されています。大石からたげ、その後は そに(現 曽爾村)、南都(現 奈良市)を通っていて、後に整備される伊勢本街道とほぼ同じ道をたどっています。
江戸時代になると たげは宿場町として発展します。関西方面と伊勢方面からの往来が盛んになり、多くの人がここを行き交いました。
明和9(1772)年には、本居宣長が吉野への花見の帰り道、この街道を通っています。その様子は すががさのにっきに詳しく書かれていて、3月14日朝に石な原(現 石名原)を出発し、かいさか峠をかごで越えて たげに着いています。先祖が北畠氏の家臣であった宣長は、真善院に残る北畠氏の庭園を訪れたり、地元の家を訪ねて城下の絵図や北畠氏の家臣録を見たり、調査に夢中になっています。松坂への帰路は、ひっさか峠を越える伊勢本街道では遠回りとなるため、健脚な宣長は しもたげから白口峠を越え、その日のうちに自宅まで戻りました。
旧街道沿いの家並みなど当時の面影を感じつつ、谷川を流れる水に一服の涼を求めながら、いにしえの道を歩いてみてはいかがでしょうか。
1987年生まれ。高校を卒業後、大手エステサロンに12年間勤務。2018年5月に女性専用のよもぎ蒸し&筋膜リンパ専門サロン リセットを津市大門にオープン。店名は、本来持っている自分自身の力を引き出すために、まずは体をリセットする必要があるとの思いから。
うめばやしさんのコメント
趣味はファスティング。
自分が満たされていないとお客さんを満たせない、というのが毎日の心掛け。
私じゃないとだめな仕事。うめばやしさんは、お客さんの悩みに触れるたびに、そうやりがいを感じるという。女性の悩みは千差万別。一人一人に寄り添った細やかな施術を提供したいと思い約1年前にエステサロンを起業した。
もともとアレルギー肌で自分に自信がなかったといううめばやしさんは、お客さんの悩みは私が一番理解できる、という。コンプレックスがあるからこそ、外見に自信が持てるようになりたいという女性の気持ちを誰よりも理解している。敷居が高いというエステのイメージを払拭したいとの思いから、自分自身を、等身大エステティシャン、と呼ぶ。そんなうめばやしさんを頼ってじわじわとリピーターが増加している。
起業から半年が過ぎた頃、アクシデントが襲った。年末の大掃除中に椅子から転落し右手首骨折の大けが。エステティシャンの命ともいえる利き腕が使えなくなってしまった。絶体絶命のピンチ。全治3カ月の重傷も、お客さんたちは、待っているよ、と言ってくれた。申し訳なさから涙がこぼれた。それでもお客さんの気持ちがうれしかった。
今年4月から本格復帰したうめばやしさん。その間お客さんが減ることはなかった。支えてくれたお客さん、スタッフ、家族に感謝しながら、自分にしかできない仕事を今日も積み上げていく。