「広報津」第334号(音声読み上げ)歴史散歩 第162回 河芸町上野の弘法井戸、津市(このまち)で輝く

登録日:2019年11月16日

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歴史散歩 第162回 河芸町上野の弘法井戸

江戸時代に伊勢街道の宿場町であった河芸町上野。大名や幕府の役人らの宿泊施設である本陣や脇本陣などがあったその中心に、瓦ぶきの小さな屋形があり、中には弘法井戸と呼ばれる石組みの井戸が、さらにその奥には弘法大師ごかじすい、と書かれた へんがくを掲げるお堂があります。

弘法井戸は、長さ2メートルほどで貯水槽のような形をしています。水面は少し手を伸ばせば届きそうなところにあり、水深も1メートルほどの浅い井戸です。

この井戸には、地元で語り継がれてきた伝説があります。この地を訪れた弘法大師(空海)が、喉の渇きを癒やすために村人に水を所望しました。この村は鉄分の多い水しか出ない土地であったため、村人が遠方から水をくんできて提供したところ、お礼として持っていたしゃくじょうで良質な水が湧くこの場所を指し示して教えてくれたというものです。この井戸がいつからあるのかは定かではありませんが、江戸時代にはこの地の生活用水として、また街道を行き交う旅人の喉を潤す水として利用されていたようです。

この井戸は、かつてこの地にあった弘法田と呼ばれる水田の収益を充て維持していたそうですが、戦後の農地改革によって弘法田は無くなりました。その後は、近隣の家々で組織する弘法講という集まりが、井戸やお堂の維持管理に当たっています。

今でも毎年4月21日に行われる弘法まつりでは、弘法講が中心となって餅をついて鏡餅などをお堂に供え、残りの餅は丸い小餅にして、お参りにきた人々に配られます。

弘法大師にまつわる水や井戸に関わる伝説は全国各地にあります。鉄分が多く、良質な飲料水の確保が困難であったこの地においても、古くから水を提供し続け、人々の生活を支えてきた重要な井戸であったことから、いつしか弘法大師の伝説と結び付いたものと思われます。

昭和36年に河芸町上野一円に上水道の給水が開始され、この井戸が生活用水としての役目を終えてから約60年が経ちました。現在、弘法講は4軒になってしまいましたが、弘法大師の伝説や信仰は、今もこの地で大切に伝えられています。

津市(このまち)で輝く

ボリューム43 元気の秘訣はお客さんの笑顔
天むす発祥店 2代目 なかむら いそじ 91歳

プロフィール

紀北町出身。店を手伝っていたことがきっかけで約40年前に初代から、元祖 めいふつ 天むす千寿 を引き継いだ。1時間に450個の天むすを握ったこともある。

  • 趣味はお弁当づくり。おかずを考えるのが楽しい。
  • 肉・魚が大好き。

津発祥の天むす 受け継がれる伝統の味

いらっしゃい、と、女性たちの明るい声が店内に響き渡る。61年前にこの店で生まれた天むすは、初代おかみが天ぷら料理店を営む忙しい夫のために、栄養と食べやすさを考え編み出した。味付けはシンプルに塩のみだが、奥深いその味を求め全国から根強いファンが訪れる。

天むすは簡単なようで意外と難しいと話すのは、2代目として40年以上のれんを守ってきたなかむらさん。(なかむらさんのコメント)特に難しいのは塩加減、そして握り加減ですね。外はがっしり、中はふんわり。(コメントおわり)大事なことは味を保ち続けること。少しでも味が変わると、お客さんはすぐに離れてしまうという。

長女・尚美さんが跡を継いだのは約40年前。自分の代で、津のまちからこの味が消えてしまうのではと思っていました。だから、娘が継いでくれると聞いた時はうれしかったですねとなかむらさんは振り返る。

第一線は尚美さんに譲ったが、91歳になった今も店でお客さんを迎えてくれる。その理由はお客さんとの楽しい会話。(なかむらさんのコメント)何十年と通い続けてくれているお客さんもいます。元気でねと声を掛けてくれたりね。お客さんとの会話が良い刺激になって、本当に元気になりますよ。(コメントおわり)

この日、久しぶりに握ってくれた天むすは熟練の技が光っていた。


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