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津インターチェンジから北に向かって約2キロメートル、安濃川支流の美濃屋川沿いにある安濃町太田の集落に入っていくと、「大洞山仲樂寺」と彫られた大きな石柱があります。ここは江戸時代に仲樂寺があったとされている場所で、現在は、太田区公民館になっています。その敷地の片隅に市指定有形民俗文化財である六地蔵石幢があります。
石幢は、寺院の本堂などで仏像が安置される壇の脇に垂れ下げられる幢幡[どうばん]と呼ばれる旗が、石造物に転じたものだと考えられ、寺院の入り口や墓地などに置かれることが多いといわれています。鎌倉時代に中国から日本に伝えられ、室町時代に地蔵信仰と結びつき、六地蔵が彫られるようになりました。
仏教では人間が死後に行く世界を六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)と呼び、六地蔵は、この六つの世界で人々を救う地蔵菩薩として信仰されたものです。
この六地蔵石幢は、花こう岩製で、高さは約135cm、方形の無地の基礎の上に、六角柱形の幢身が建っています。その上の笠の端の反りは少なく、頂部には、宝珠・請花[うけばな]を模した突起があります。
幢身の各面に浮き彫りされた六体の地蔵は、おおよそ四頭身で、高さはいずれも32cm前後です。表面は磨滅していますが、合掌する像、しゃくじょうを持つ像、念珠を持つ像などが確認できます。
製作者や願主、製作年などの銘文はありませんが、その形状などから室町時代のものと考えられています。長い間、それぞれの時代に生きた人々の祈りや願いが込められたこの六地蔵石幢には、今もなお献花が尽きることはありません。
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