多気北畠氏遺跡の発掘調査 

登録日:2016年4月4日

館跡

名勝として知られている北畠氏館跡庭園を擁する北畠神社境内は、国司の館があったところです。現在は背後の霧山城跡を含む一帯が、多気北畠氏城館跡として史跡に指定されています。発掘調査の結果、建物の柱穴や区画の石列が見つかるとともに、建物等の築造にあたっては石垣を伴う大規模な整地が実施されていることが明らかになりました。館の中心部の構造についてはまだまだ不明な点もありますが、遺物としても多量の土師器などのほか、各種の施釉陶器や中国産の青磁類、引手金具などが発見されています。
 

館跡

秋の北畠氏館跡庭園(名勝)

 

石垣と入口

館跡で発見された入口

館跡で発見された入口(第12次調査)

 

館跡のほぼ中央では、館の中段から上段への入口が発見されています。入口の幅は4.2mで、ここが上段への「大手口」にあたるものと考えられます。
また、この入り口に伴う大規模な石垣も確認されています。確認された石垣は長さ約28m、高さは約2.6mで、総延長は90mほどになると想定されています。また、石垣は南北の端で東に向かって折れている可能性があります。
 

本当にあった多くの寺院

江戸時代に描かれた多気城下絵図には、戦国期の町の様子として20カ所余りの寺院が描かれています。これまでの発掘調査では、絵図にもある大蓮寺や松月院の跡が確認されています。また、寺院の伝承地には広い平坦面や石垣等も残っていることが分かってきており、実際に多数の寺院があったことが確認されました。

景賞院跡での発掘調査

景賞院跡での発掘調査(第33次調査)

 

計画的なまちづくり

六田地区での発掘調査

六田地区での発掘調査(第30次調査)

六田地区の発掘調査では、多数の掘立柱建物が発見されており、井戸も付随しています。また、六田地区には「東の御所」と呼ばれてる六田館跡もあり、周囲が掘で囲まれていました。また、建物の方向や地割には規則性があることが分かっており、北畠氏による計画的なまちづくりがうかがわれます。

 

 

 

出土品は語る

関連年表

パンフレット類

多気北畠氏遺跡とは

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